今回は、フランスのガラス工芸家 Muller Freres Luneville(ミューラー兄弟)をご紹介します。
ミューラー兄弟とは
Muller Freres Luneville(ミューラー兄弟)は、モーゼル地方のガラス一家に生まれました。
男子9人と女子1人の10人兄弟。
1870年に普仏戦争が勃発。
故郷がドイツ領となり、一家はナンシーに疎開。
ナンシーは当時、ガラス工芸で有名な地域でした。
10人中5人がエミール・ガレのガラス工房で働き、他の兄弟もガラス職人として研鑽を積みました。
1895年にアンリが独立。
リュネヴィルに工房を開設しました。
すると、兄弟全員がリュネヴィルに集結し、家族一団となって工房を経営することに。
1898年にディジョンの展覧会にて金賞を受賞。
1900年にパリ万国博覧会にて多数の賞を受賞。
フランス国内のみならず、ヨーロッパ各国でも高い評価を得ました。
1914年に第一次世界大戦が勃発。
兄弟は離散、ウジェーヌは戦禍に巻き込まれ死亡。
悲しみの空白期となりました。
1919年にアンリとデジレが帰郷。
制作再開を決心し、クロワマールの工場を買収しました。
主にアンリが経営を、デジレがデザインを担当。
1929年に発生した世界恐慌を境に衰えていき、1936年に工房を閉鎖。
ミューラー作品の特徴
エミール・ガレの影響
ミューラーは、ナンシー派の代表的な工房です。
ナンシー派とは
1901年にエミール・ガレにより集められた装飾美術家と製造業者の協同組合。
ナンシー派特有の自然主義で、植物や昆虫などをモチーフとした作品を多く発表しています。
また、カメオグラスやカボション、グラヴィールなど、エミール・ガレの工房で学んだ技法を活かした繊細なガラス彫刻を生み出しました。
機能性の美
ミューラー作品は、ナンシー派の中でも控えめな装飾で「機能性の美」を体現しています。
第一次世界大戦を経て芸術の大衆化が進み、機能的で合理的なものが求められる時代だったことが影響しているのかもしれません。
様々なサイン
基本的には「Muller」が多く、工場の地名を入れた「Muller Freres Luneville」や「Luneville」、ナンシー派を主張した「Muller Croismare Nancy」「Croismare」「Croismare Nancy」などがあります。
ミューラー作品の取り扱い
木楽館では、ミューラー工房で制作された価値ある逸品をご購入いただけます。
ぜひ、チェックしてみてください。
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