今回は、アール・ヌーヴォーの巨匠 Émile Gallé(エミール・ガレ)をご紹介します。
エミール・ガレの生涯
1846年
フランスのロレーヌ地方ナンシーで生まれる。
生家は陶器工場を営んでおり、父は新しいガラス食器などの販売を次々と手がけていた。
1858年(12歳)
ナンシー帝立高等中学校に入学。
修辞学、文学、哲学、植物学にて優れた成績を修めた。
1865〜1867年(19〜21歳)
ドイツのヴァイマールに留学。
文学、哲学、植物学、鉱山学、さらに建築と装飾の美術について学んだ。
1866〜1867年(20〜21歳)
ブルグン・シュヴェーラー社(Burgun, Schwerer & Cie.)で、ガラス製造の技術を習得。
1870年(24歳)
普仏戦争が始まり、義勇軍に志願する。
1871年(25歳)
プロシア軍はフランス軍を圧倒し、パリに入城。
敗戦国となったフランスは、フランクフルト条約により、ロレーヌ地方の一部とアルザスを割譲した。
1877年(31歳)
父に代わり、工場管理責任者になる。
1878年(32歳)
パリ万国博覧会に独自開発した月光色ガラスや陶器を出品し、銅賞を受賞。
月光色ガラスとは、酸化コバルトによって淡青色に発色させた透明地のこと。
パリ万国博覧会にて大きな反響を呼び、ヨーロッパ各国で流行した。
1884年(38歳)
装飾美術中央連盟主催の石木土そしてガラス展に出品し、金賞を受賞。
1885年(39歳)
ナンシー水利森林学校に留学中の高島得三(農商務省の官僚)と交流を持ち、日本の文物や植物などの知識を得る。
1887年(41歳)
高島との交流が契機となり、水墨画的な表現を伴う黒褐色のガラスを生み出す。
のちに『悲しみの花瓶』と名付け、シリーズ化。
1889年(43歳)
パリ万国博覧会に大量の作品を出品。
ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金メダル、家具部門で銀賞を受賞。
装飾工芸家として、国際的な評価を得た。
1900年(54歳)
パリ万国博覧会に大量の作品を出品。
再びグランプリを獲得し、不朽の名声を確立した。
1901年(55歳)
「エコール・ド・ナンシー(ナンシー派)」の会長に就任。
1904年(58歳)
白血病により、死去。
作品の特徴
オリジナル作品と工房作品
ガレの作品は、オリジナル作品と工房作品とに分けて制作されました。
オリジナル作品とは、ガレ自身が制作したもの。
工房作品とは、ガレがアートディレクターとして指示を出し、工房スタッフの分業で制作したもの。
自然を意匠化
博学的な知識を創造に昇華させ、卓越した技術を駆使し、傑出した作品を次々と生み出しました。
大胆なフォルム、印象的なモチーフ、そして叙情こそが、自然から学び表現した独自の世界でした。
ジャポニズムの影響
ガレは日本美術に高い関心を示し、積極的に日本の美意識を取り込みました。
ジャポニズムの影響が表れた作品として有名なのが、『鯉魚文花瓶』です。
葛飾北斎の『魚濫観世音』を引用しました。
関連アイテム
木楽館では、GALLE COLLECTION(ガレコレクション)を販売しています。
カメオ彫りによるガレ風ガラス(ルーマニア製)と真鍮フレーム(スペイン製・イタリア製)を組み合わせた、新しいデザインの照明器具です。
装飾性の高さもさることながら、照明器具としての実用性の高さも魅力。
インテリアに華を添え、柔らかい光で空間を包み込む芸術作品の数々を、是非お楽しみください。
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